【凡夫の雑記】瞑想と座禅

もう数年前から瞑想というか座禅というかよくわからない行為を行っている。1日15分くらいの短いものだけれど。

もともと、NHKでマインドフルネス瞑想の特集をやっていて、不眠や心の不安を和らげたいという思いで始めてみた。そのころは仏教に興味がなかったので、瞑想や座禅は深く知らなかったけれど、マインドフルネス瞑想のやり方で座っていた。

その後、仏教学を学んでいくと、瞑想というのが仏教の根底にある重要な行為だということを知った。瞑想というとなんとも胡散臭いというか怪しい印象を受けるが、八正道の中にも正定というのがあるほどベーシックな行動だ。お釈迦さまも菩提樹の下で瞑想して悟りを開かれたので当然ではある。

一方、禅には座禅というのがあるが、禅のお坊様の話を聞くと何故か瞑想と座禅は違うというのが多い。考え方はいろいろあるのだろうけれど、原始仏教の瞑想も大乗や禅の瞑想や座禅も、根底は同じじゃないのかしらと思うのだけれど、みなそれぞれこだわりがあるのだろう。

私の場合は最初はマインドフルネスのやり方で座っていたが、その後座禅の作法で行ってみた。座禅では目を開けと言われるけれど、どうしても途中から目を閉じてしまう。眠たいというわけではなく、なぜか自然にといった感じだ。閉じた方が集中できるようなので、最近は作法にこだわらず目を閉じて座っていたりする。

瞑想も座禅も呼吸に集中するというやり方があるが、これも度を過ぎるとよいのかどうか分からなくなるときがある。深い呼吸を意識的に行うと最初は落ち着いてくるが、時間が経つとかえって不自然になり、不快になってくることがある。その場合は複式呼吸だとか深い呼吸にこだわらず自然の呼吸に任せた方が楽になる。

瞑想状態には第一から第四、さらにその上に四つの段階があると言われるが、果たして自分がどの段階にいるのかさっぱりわからない。そもそも、深い瞑想状態というのは言葉を超越した感覚なのだろうけれど、書物や人からの説明ではみな言葉でその段階が語られているので、よくわからないのだろう。もっとも、今の感じだと第一禅定にいるかいないかくらいではないかと思うけれど。

よくわからないまま、続けて座ってみようと思う今日このごろである。

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