【書籍】出家的人生のすすめ

佐々木閑『出家的人生のすすめ』、集英社新書(0797C)、2015年


出家的人生のすすめ (集英社新書)

佐々木閑先生のYouTubeを見ていて本書が出てきたので、読んでみた。佐々木先生は律の専門家で初期仏教の研究者であるので、「仏教の出家」=「サンガに参加し、律によってお布施で暮らす修行者」と定義される。現代の日本仏教は律を持たないので、ある意味特殊だし、世界の仏教出家とは少し異なっているようだ。

ただ、仏教に限らず現代社会でも出家に相当する人生はあるという。その例として科学者をあげている。仏教の出家は働かずお布施で生活する。仏教者の目的は悟りを開き自らを苦しみから開放することなので、生産性は全くない。

科学者は自然界の法則や真理を解き明かすことが目的なので、特に純粋な物理や数学などは、直接的に今すぐ我々の役にたつわけではない。そこで、研究費を税金やら企業からの援助によって賄う必要がある。これはお布施と同じであるという。

出家の条件は2つあり、①修練を積む必要がある、②社会的責任を伴う、ことだという。世を捨てて自分の好きなことだけやって生きていくからといって、だれもすぐには援助してくれない。そのためには、それ相応の教育を受け立派な人になるための修練を積む必要がある。仏教僧侶であれば、仏教の教育を受けたり修行したりする。科学者であれば、小中高や大学、大学院で相応の教育を受け、研究に没頭する必要がある。

そして、立派な人としての姿や社会的な責任を世の中に見せる責任を負っている。仏教ならお寺を24時間開放し、信者の悩みに常に耳を傾ける必要があるし、科学者なら研究成果を公表し科学の面白さを世に広報しなければならないだろう。あとは共通的に、嘘をつかないとか常に謙虚であるとか、組織に自浄作用があるなどの条件があげられている。

そして何より、これらの責任をおった出家者自身とそれを支える社会の両方が一体でないとだめだということだ。出家者を受け入れ、それに対してお布施や税金の投入を惜しまない社会こそ、多様性があり発展していくと述べられている。

確かにそのとおりである。日本には「働かざるもの食うべからず」という考えが主流の意見で、誰かの援助になったりするのは恥ずべきことだという風潮がある。生活支援の話でも問題になっていたし、学者が国の会議で任命拒否されてもそれが覆されるほど大して反対意見が起きなかった。しかし、お坊さんの出家者や科学者やニート、引きこもりなど一見すると生産性がない(とどこいらのお歴々が言うような)多様な人達を支える社会こそ実は発展性があり、それらの人たちの中から将来のターニングポイントが発生してくるのだ。

実は政治家もそういう意味では出家者であるだろう。彼ら自身は畑を耕すわけでもなく、漁にでて魚をとってくるわけでもなく、自動車やパソコンを組み立てるわけでもない。何ら生産性がない人達である(彼らにあたえられる(とみんなが信じている)ものは権力だけである)。そのようなニートと同じ人達を税金というお布施で養っているのだ。出家者であれば先の出家の条件を満たさなくてはいけないのだ。

そう考えると、私のような売れない会社のひとり社長も出家者のようなものだなと思う今日このごろである。

読書メモ

  • 宗教とは、「人は不幸である」という世界観と「その不幸を取り除く方法がある」という確信の融合である。
  • 生老病死インターネット ←現代の苦
  • 自分を変える方法:心を集中→自分の内面を観察→無明の悪作用をつぶす の繰り返し
  • お布施でくらすのは、仏教とジャイナ教のみ
  • 受戒後、5年間の和尚による教育
  • サンガ:出家者の修行度合いを評価しない、出家者に厳密な教育を施す
  • 慈悲=後ろ姿の教育。自分が先に進み道の進み方を教える。ボランティアではない。

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