土屋賢二、石原壮一郎『哲学を疑え!笑う哲学往復書簡』飛鳥新社、2001年
「哲学は何の役に立つか」などど崇高な疑問をもってはいけない。学問とは解らないことを解明するものであり、役に立つかどうか生産性があるかどうかなどはどうでもよいことである。
土屋賢二の文章とは、いつも何とも腹立たしく生産性のかけらもないのであるが、どうも無性に読みたくなる中毒性を持っている。これがそこらへんのおっちゃんの文章なら鼻紙にもなりはしないが、れっきとした哲学者の文章とあらば、何か深遠な真理が隠されているに違いないと少しくらいは思って読んだりして、いつも裏切られる読後の脱力感がたまらない。
ところで、ひとつだけ役に立ったこと、、、
「哲学をやっていて何がよかったか」というような質問は非常に失礼な質問だという。なぜかというと、この手の質問は、「健全な人間のやることではない」と思ったときに発せられるからだ。たとえば、無理やり砂を毎日スプーン一杯食べている人を見たとき、「何かいいことがあるのか」と質問する。はあ、たしかに通常の行為や自然現象や本能にしたがって起こるものについて、「何かいいことがあるのか」と質問したりはしない。
哲学はあらゆる学問の中でも最も早く成立した学問である。「いいこと」があるに決まっている。