【書籍】空の思想史

立川武蔵『空の思想史』(講談社学術文庫)、講談社、2003年

本書を購入したのは5年以上は前な気がする。「空」とは何だろうと軽い気持ちで読み始めたが、数ページで理解不能となり、そのまま積読書の仲間入りを果たした。その後何度かトライを試みたが、その都度失敗に終わった。最近、仏教に興味を持つようになって、仏教の一般的な知識と龍樹による「中論」に触れた後で再度読んでみると、なんともすんなり快調に、わかりやすく面白く読めるではないか。知識と興味というものは恐ろしく重要だということがあらためてわかった一冊。

さて、本書は「原始仏教から日本近代へ」との副題があるとおり、「空」の思想史を歴史的に概観した解説書である。仏教史において、インドを原点とし様々な地域、宗派、時間を経た「空」とは何なのか。本書では、「「空」とは否定作業によって自己が新しくよみがえるというプロセスの原動力である」とする。

まず「空」を考えるうえで重要となる概念として基体(ダルミン)と属性(ダルマ)の関係がある。「この本は重要だ」という命題は、「この本(基体)には重要性(属性)が載っている」と解釈される。そして、バラモン正統派では基体が存在すると考え、仏教では基体が存在しないと考える。そして、属性と基体とには明確な区別があると考える実在論と、属性と基体とには明確な区別がないと考える唯名論に分けられる。実在論はニヤーヤ学派などであり、唯名論は仏教やヴェーダーンタ学派などである。バラモン正統派では基体としてのブラフマンが存在するが、仏教では属性も基体も存在しないのである。

ここで、「空」とはサンスクリット語の形容詞 「シューニャ(śūnya)」と抽象名詞「シューニヤタ―(śūnyatā)」を意味する。「あるもの(y)においてあるもの(x)が存在しない」「yにxが欠けている」という意味である。

インド仏教において、「空」を理論的に論じたのはやはりナーガルジュナ(竜樹)であろう。竜樹による空を体得しようとする行為の構造は、「聖なるもの」と「俗なるもの」という一対の概念によって指し示すことができるという。つまりそれは「中論」第二十四章で、

「縁起なるもの、それをわれわれは空性と呼ぶ。それ(空性)は仮説であり、中道である。」

と述べられているように、「縁起」は俗なるもの、「空性」は聖なるもの、「仮説」および「中道」は聖化された俗なるものを意味する。つまり、俗なるものとしての縁起から聖なるものとしての空性に至り、その空性が俗なるものへと、俗なるものを聖化しながら戻るプロセスを示していると本書は主張する。

本書では続けて、竜樹の言語における否定のプロセス、インド諸派における自性の分類、インド論理学による論証式などを通して否定作業の実際を細かに解説する。さらに、チベット仏教から中国仏教、日本仏教へと領域を拡大した仏教において、「空」の観点から概観している。竜樹の提唱した「空」は空間と時を経て変遷していったと言える。そして、否定作業の上に成就した聖なるものであった「空」は、再度浄化した俗なるものへと戻っていく。その観点で、今日ある宗派や思想が説明されている。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク