【書籍】新・平家物語

吉川英治著『新・平家物語』(吉川英治歴史時代文庫)、講談社、1989年


新・平家物語(吉川英治歴史時代文庫)

もはやライフワークと化していた新・平家物語(全16巻)をようやく読了。一体いつから読み始めたのか、とんと思い出せないくらい時間をかけていた。なぜか吉川英治の歴史小説は、時間がすっかり空いても(何ヶ月も)、すぐまた読み進められる。なので、無理に続けて読まなくても、一旦休んでもいいし、新・平家物語を読みながら、新書・太閤記を読んだりした。最初は、紙の本を買って読んでいたのだが、途中からKindleで99円の合本版を購入し、携帯で読んでいた。本を持ち歩く良さというのはあるのだけれど、最近は携帯やiPad、Kindleで読むのにもすっかりなれてしまった。これはこれでよい。

平家物語はもう本当に一大歴史スペクタクルである。平清盛から、木曽義仲、源義経、頼朝に至るまで、日本全国津々浦々、いろんな人の思いが歴史を作っていく。あまりにも長いので、最初の方の平清盛はどんなんだったか、はっきりとおぼえていないくらいだが、やはり最後は判官贔屓で義経の最後に気持ちが移っていく。その割には、とってもあっさりと義経の最期が終わっていて、イヤに余韻を惹かせないのもよい。

頼朝はほとんどメインで描かれていない。むかし、本格ミステリの批評で人間が描けていないというのがあったが(ミステリに人間を描く必要もなかろうにと思うのだけれど)、まさにそんな感じである。頼朝の人間が描けていないのである。といっても、もちろん吉川英治先生の腕が悪いというわけではなく、これはわざと人間を描いていないんだろうなと、常に思わせてくれる。そこが、余計に義経に思いを寄せる造りになっていて、吉川英治のうまいところなのである。

ところで、私は現在神戸に住んでいる。神戸というところは、源平ゆかりの地であり、そこかしこに源平の名所旧跡が点在している。雪の御所や福原、大輪田の泊、一の谷、鵯越、敦盛塚などなど。街中が源平歴史の街である。そのまま源平町なんていう町名もある。私の家は、神戸市街地からだいぶ西に外れたところにあるのだけれど、近くの神社には義経が弓矢を奉納したという伝説が残っているし、近所の山道沿いには弁慶が斧を研いだという、「よき研ぎの石」なんていう大きな一枚岩もある。義経道という一の谷合戦に向かう行軍ルートももちろん残っている。歴史的に見る義経の行軍ルートは諸説あるようだが、この現代においても、源平関連の伝説がそこかしこに残っているというのはおもしろいし、みんなやっぱり歴史好きなんだなと思う。

冷静に考えれば、歴史の旧跡は戦のあとが多い。現代の戦争のあとは悲惨さしかないが、1000年も前となると名所となる。当時にしてみれば、現代の戦争の悲惨さとなんら変わりないだろうし、一人の人間の思い次第でこのような戦が繰り広げられるというのは、源平もロシアもある意味同じであるだろう。いつまでたっても愚劣な思考が治らないし、思考の進化もしないのが人間である(一部の個人だけかも知れないが)。

とはいえ、吉川英治の文学はあくまで娯楽である。1000年前の人間たちの思いを手にとって読むことができるし、読後をそんなに引きづらなくてよいのは、吉川文学の面白さの一つであろう。

小説は基本的に読まないのだけれど、吉川英治は常にそばにおいて置きたくなる。さてお次は何を読もうかしらん。

 

 

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