自己紹介の詳細(経歴や性格など)はこちらを参照。
私は、20年ほど前に大学院(理学部の修士課程)を出て理学修士の学位を持っている。そのころは、物理学や化学などを勉強していた。それから20年コンピュータ関連のエンジニアをやってきて、物理、化学、数学などを扱う技術分野で仕事をしてきた。いわゆる理系、自然科学の分野でずっとやってきた。
一方で、もう一度アカデミックな勉強がしてみたいと思っている。せっかく学ぶなら、自然科学はもうよくて、文系の学問であると決めている。ただ、文学や政治経済、社会、法学などはあまり興味がなく、哲学系に興味がある。
自然科学は、数学の世界でだれが解いても同じ答えがでる大変わかりやすい学問だ(もちろん、それが理解できるかどうかは別)。一方、文学や芸術、歴史、哲学、宗教などはだれが解いても同じ答えがでそうにない。というか数学のように明解に解けない。人の考えやその人の思想の本質は、結局はその人に聞いてみる以外にないはずだが、1000年も2000年も昔の人には聞きようがない。後世の研究書物を読むと結局は、「私はこう思う。こう考える。」という所に帰着していて、「これは一つの説です。」という注釈が付いてまわる(最近のテレビ番組の逃げ口上によくあるやつ)。
当然、学閥やらその筋のえらい先生やらの周りの学説は多大な影響力を持つが、結構いい加減な思い込みや古い考え方だったりして、意外と間違っていたりすることも多いようだ(もちろん自然科学の世界も多分にそんなものだが、数学的に正しいかどうかは証明はできるのでまだまし)。
しかし、だからこそ文系の学問は面白いのだろう。答えがあるようで無く、私はこう思うという説がたくさん出てくるとそれはそれで楽しいし、世界も経済も結局答えの出ない何かで回っている。最近、理系の教育を強化しようといってプログラミングなんぞを小学校から教えたりしようとしているが、そんなことより文系の頭を鍛えた方がよいのにと思う。私自身はプログラミングは仕事でやっているが、数学的に答えが求まるものは誰でも(AIでも)できるので、そんなことを今からわざわざ強化して教えることもないはずで、答の求まらない何かを考える力を学ばせた方が100倍面白い。
さて、自分自身の話に戻るが、20年働いてきて上のリンクにあるように色々なことがあった。性格的には、とてもストレスがたまりやすく、基本ネガティブ思考なので、なかなか苦しい時が多い。それを解放しようと、認知行動療法やアドラー心理学やマインドフルネスや気持ちを楽にする系の哲学・心理学の書物などを読んできた。そこでわかってきたことは、分野はそれぞれ違っても何かしら共通なのは、どうも仏教的思想がそれらの根底にあるのではないかと思われることだ。一言で言えば、「ありのままを見つめ、まわりに反応しないこと」。結局は、他人は自分の苦しさを解放してくれなくて、自分で苦しみから逃れるというか、苦しいと思わないように自分の考え方を変える以外に方法はないということだ。
釈迦が覚ったことは結局何だったのか、何が苦しみから解放する力となりうるのか。ぜひ仏教とは何かを学びたいと思っている。
私の実家は日蓮宗の檀家さんで、身延山久遠寺にお参りしたこともある。苦しみから逃れるだけなら、宗教として信心すればよいかもしれないが、そういうことではない。宗教としてではなく、アカデミックに学問として学びたいと考えている。2000年以上も前に釈迦は何を考えたのか、当時の時代背景や思想の変遷なども加味しつつ、体系的に仏教学を学んでみたい。