【書籍】親鸞

吉川英治著『親鸞』(吉川英治歴史時代文庫)、講談社、1990年


親鸞(吉川英治歴史時代文庫)

小説の類は読まないのだけれど、吉川英治は唯一、常に何某かをライフワーク的に読んでいる。今、ここに来て親鸞を読むしかない。

ものが小説なので、史実かどうかは関係ない。あくまで吉川英治の本であり、吉川文体の中で親鸞の教えがありありと浮かび上がってくる。

文量はそれほどなく、2冊でおしまいである。短いからなのか、他の吉川作品にくらべ読後感が良い。

本書を貫いて、悪人正機が書かれている。天城四郎や弁円、平次郎といった「悪人」が、親鸞の前に出るとたちどころに改心する。一見、あまりにとってつけたような展開であるが、実はこれこそが仏教という宗教(仏教だけではないかもしれないが)の神髄のような気がする。

これまでいろいろな書物を読んでおぼろげながらわかったことは、「覚り」というのは、あれこれ頭で理屈を考えてもたどり着けない境地であって、そこには実践が必要だということだ。実践とは、例えば瞑想であったり、例えば何かのきっかけであったりするだろうが、一瞬のうちにその境地に達してしまうということである。科学的に考えれば、脳内の何らかの回路が瞬時に繋がって、別の思考回路が出来上がるなんてことなのかも知れない。

いずれにしても、本書に登場する悪人たちは一瞬にして覚り、改心してしまうのである。そこには、親鸞のカリスマ性のような何かが後押ししているのであろう。

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