中村元訳『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』(岩波文庫)、岩波書店、1980年
『ブッダ最後の旅』は、パーリ語原典の『大パリニッバーナ経(Mahaparinibbana-suttanta)』の日本語訳。釈尊入滅前の最後の旅での説法の様子や入滅の時の様子、遺体の処置の仕方など詳細が記されている。愛弟子アーナンダとともに旅をして、鍛冶工チュンダに供物された料理により食中毒で苦しむも最後まで法を説き、入滅していく様は何とも人間的で、なぜか 心あたたまり 暖かな気持ちになる。
読書メモ(気になった箇所や覚えておきたい文章など)
- 法に関する講和「戒律とはこのようなものである。精神統一とはこのようなものである。知慧とはこのようなものである。戒律とともに修行して完成された知慧は偉大な果報をもたらし、大いなる功徳がある。知慧とともに修養された心は、諸々の汚れ、すなわち欲望の汚れ、生存の汚れ、見解の汚れ、無明の汚れから全く解脱する」
- 四双八輩。法の鏡。
- よく気を付けている。
- 遊女アンバパーリ―
- 雨安吾
- 「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」
- 大地震
- 空無辺処→識無辺処→無所→有処→非想非非想処→想受滅
- 法とは?→四念処、四正勤、四神足、五根、五力、七覚支、八聖道
- 四大教示 典拠への参照
- 鍛冶工チュンダ→きのこ料理を振る舞う→病になる
チュンダの供物を食べ病にかかったが、チュンダに後悔の念を抱かせないよう最後までいたわる - クシナーラの沙羅双樹の下で頭を北に向けて右脇を下にして床を用意する。
- 「アーナンダよ。お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。」
- 遺体の処理のしかた=世界を支配する帝王(転輪聖王)と同じ
遺体を新しい布で包む。新しい布で包んでから、次に打ってほごされた綿で包む。打ってほごされた綿で包んでから、次に新しい布で包む。このようなしかたで、遺体を五百重に包んで、それから鉄の油槽の中に入れ、他の一つの鉄槽で覆い、あらゆる香料を含む薪の堆積をつくって、遺体を火葬に付する。そうして四つ辻に、ストゥーパをつくる。 - アーナンダはよくできた弟子→マッラ族をまとめて敬礼させた。師のためにスバッダ(最後の直弟子)の拝謁を拒んだ。
- 八支よりなる道
- 「お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるのである。」
- 「年長である修行僧は、新参の修行僧を、名を呼んで、または姓を呼んで、または『友よ!』と呼びかけてつき合うべきである。新参の修行僧は、年長の修行僧を『尊い方よ!』とか『尊者よ!』と呼んでつき合うべきである。」
- 「修行僧の集いは、わたしが亡くなったのちには、もしも欲するならば、瑣細な、小さな戒律箇条は、これを廃止してもよい。」
- 「わたしが亡くなったのちには、修行僧チャンナには、〈清浄な罰〉(ブラフマ・ダンダ)を加えなさい。」
〈清浄な罰〉=かれは自分の欲することを何でも言ってよいが、修行僧たちはかれに話しかけてはならないし、訓戒してはならない、教えさとしてはならない。 - 最後のことば「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させなさい』と。」
- 入滅時の瞑想
[四禅定] 初禅→第二禅→第三禅→第四禅→[四無色定] 空無辺処定→識無辺処定→無所有処定→非想非非想定→滅想受定→初禅まで逆に戻る→第二禅→第三禅→第四禅→ニルヴァーナ - 七日目に火葬、遺骨は七日置く
- 遺骨は八つに分配→ストゥーパ、瓶→ストゥーパ、灰→ストゥーパ
- 覚王山日泰寺←英ペッペがカピラ城から発掘した真舎利がタイから日本へ寄贈される
- 最後の旅ルート
鷲の峰、王舎城→アンバラッティカー園→ナーランダー→パータリ村(以上マガダ国)→ガンジス河を渡る(ゴータマの渡し)→コーティ村→ナーディカ村→ベールヴァ村(雨期安吾)→ヴェーサーリー市→バンダ村→ハッティ村→アンバ村→ジャンブ村→ボーガ市(以上ヴァッジ国)→パーヴァー市→カクッター河→クシナーラ―(以上マッラ国)