柳田聖山、梅原猛『仏教の思想7 無の探求<中国禅>』、第6版、角川ソフィア文庫、2008年
仏教の思想7 無の探求<中国禅> (角川文庫ソフィア)
仏教の思想シリーズを7冊読んできたが一番難解な本である。もっとも、この本が物理的に難しいのではなく、私の理解力のなさと勉強不足によるところが大きいのだけれど、どうもつかみどころがなく頭に入らない。
禅というのは日本仏教の主要なパートのひとつをしめているのだけれど、どうもしっくりこないところがある。はじめて禅というものに出会ったのは子供のころ、ああそう、一休さんだったろう。たしかあれは禅寺ではなかっただろうか。一休さんお得意の禅問答というか、とんち話を毎回楽しみに見ていた。最近では、臨済宗円覚寺の横田老師のYouTubeチャンネルを拝聴したりして、なんとなく禅というものに、その端っこの端っこの一端にでも触れてみたりしているのだけれど、どうにもこうにもその実体というものがよくわからないでいる。もちろん、実体などというものがないものこそが、禅ということになるのだろうけれど。
個人的には理系なもので、アビダルマだの空の論理学だの、唯識の理論だの論理や学識をこねくりまわす方がかえって頭に入りやすい。だからかしらないが、どうも本書を読んでも、結局中国禅っていったいなんだったんだろうという感じになる。
もう少したってから再度読み返すか、もう忘れてしまって、ただただ座るかしようか、いかがいたしましょうかと思う今日この頃である。
読書メモ
- 禅は、禅問答か無の哲学かどちらか
- dhyana瞑想
- 禅と思想は無縁
- 神通は超感覚的な透視の力
- 高僧伝
- 神異
- 道安:中国仏教の最高の頭脳
- 無心=分別の心がないこと
- 体用
- 大乗起信論
- 即心即仏
- 公案
- 臨済録、碧巌録、無門関
- 実践は、禅か念仏
- 仏教は偽経の創造の歴史